多角的視野と多義的思考によってバカが発生する事例

僕は人と対話する時に、会話が噛み合わなくなることが多々ありまして。
「あれ?話題ちがった?」
みたいなことが頻繁に起こります。
よく起こるせいか、周りもあまり気にしません。
まあでもみんな他人の話すことって気にしてないよね。
その話は主題と違うからやめます。


会話が噛み合わなくなる理由ってなんなのかしら。
そんなに難しいことじゃないんですね。僕の場合。
思考が無軌道なんです。
「きのう野球の試合でピッチャー返しが頭に直撃したらしいよ」
って話題があったとすると、
「その投手は大丈夫だったのかしら」
「どのチームの試合だったのかしら」
「乱闘とか起きたかしら」
ということを考えるのと同時に、
「脳天直撃セガサターン
「ビール入れるピッチャーと語源一緒なの?ちがうの?」
「さいきんテレビみてないな」
「仁志っていまどこにいんの」
のように、無指向性の思考が展開されていきます。
そしてそのうちのいくらかが脊髄反射的に口をついて出ます。
連想ワードみたいな感じで。
それだけなら、くだらないことを言う奴、で済むんですが、
たまに話の流れがそっちにいったと一人合点してしまう瞬間があります。
冷静になれば絶対違うとわかるんですが、会話って基本的に瞬間的なもので、その一瞬において大いなる勘違いをするんですね。
そうした瞬間に、コミュニケーションの歯車がガコッと外れるのです。


なぜこんな思考をしてしまうのか。
それの自分なりの答えが、タイトルにある「多角的視野と多義的思考」となります。
多角的視野、というと良い意味に捉えられがちですが、ここでは「持っているべきもの」としてのニュアンスを取り除いた概念として書きます。
(こうした「概念に付帯するもの」が後述する「多義的思考」の「多義」に深く関わってきます)


僕は多角的視野を持とう、という努力をしてきました。
それは別にちゃんとした人間になろうとかそうした話ではなく、ひとつのインプットに対するアウトプットの選択肢を広げたかったからです。
もっと端的に言えば「おもしろいことの言える人間になりたい」と思ったからです。
僕という人間の骨組みは思春期に形成されました。
そこにはひとつのサロンというか、ひとつの選民思想的感覚が根付いたコミュニティがあり、なによりも「エスプリ」と「意外性」が重視される、そうした風潮がありまして。
インプットに対するアウトプットの意外性、そこに知性を混ぜ込めば小粋なエスプリ感を演出できる、そうした考えで僕は会話および思考のフォーミュラを構築していったわけです。
この「アウトプットの意外性」をゲットするために必要だったのが多角的視野です。
ひとつのものをいかに多くの視点から見るか、そしてそこから枝葉のようにどこまで多彩な連想ができるか。
「多彩な連想」、ここが次に書く多義的思考の幼生となります。


多義的思考については、いわば副産物といえます。
先天的な要素もあるかと思います。
僕は昔から集中力の欠如が目立つ子供でございまして。
集中力が足りてないわりに考え込むのが好きな子供でもございまして。
どうなるかというと、人の話を聞かず(あるいは聞きながら並行処理的に)自分の思考に没頭するようになります。
超軽度の自閉的症状といってもいいかもしれません。
そんなネクラボーイはだんだんと気づいていきます。
世の中ものすごくファジーかつ複雑にできているのだと。
好きっていったからって嫌いもどうでもいいも混じっているものだと。
怒っている人間は必ずどこかしら楽しんでいるし、
泣いている人間は少なからず自己陶酔のなかにいるし、
鬱だっていう奴は大概鬱じゃないし毒吐きますと自称する奴は・・・まあいいや
ともあれ、ひとつの事象や概念にはあまりにも多くの「意味」が付帯している、そのことに気づいたのです。
(「多角的視野」というワードに「持っているべきもの」というニュアンスがついてくるという前述の例がこれです)
中二病だった僕はこれを「言霊」と定義しまして、常にこれを意識するようになります。
同時に前述の「多彩な発想」を身につけようとしていた僕は、さらに散漫な、無指向性の思考に深く入り込んでいったのです。


そしてこの散漫さは、物事の優先順位を判断する能力をすこしずつ欠如させていきます。
その結果、ときおり事象の示す意味の優先度がわからなくなる「主題の混濁」ともいえる現象が発生しまして。
すると、コミュニケーションに齟齬が生じます。
ハテいま何を話していたか、どれを拾って答えればいいものか。
考えているうちに話は進みます。
なんとか追いついて話に参加します。
また別のタイミングで混濁が発生して黙り込みます。
これを繰り返すと、だんだん無口になっていきます。
これはまずい、と、脊髄反射、瞬間的感情でもって言葉を紡いで窮地をしのぐことを覚えます。
ここに至って、
「きのう野球の試合でピッチャー返しが頭に直撃したらしいよ」
「脳天直撃セガサターン
この流れになるわけです。


本当はね、別にこんな話をつらつら書くつもりなかったのね。
広い視野と狭い視野、どちらも善し悪しだよね、そんな話にする予定で。
でもまあ気づくと主題はかわっていたり。
上述のパターンがこの数十分の間にも幾度も発生していたわけです。
こうしたメタ的な締めでハイうまいこといった!
そうならないからコミュニケーション苦手なんです僕。
ズレてんです。